9/23/2012

一人巡り 金沢・福井編

今回の金沢に行くついでに廻ったところが何カ所かありましたので
紹介していきます。

まず行きの途中に北陸自動車道の徳光PAにあると言うか、そこから出入り可能なんですが
隣接した場所に松任市民温泉というのがあります。
 以前からここの高速を通る旅に一度入ってみたかったのですが、今回入浴する事が出来ました。
お昼までの時間はこちらにてつぶせました。
入る前は雨模様でしたが、入った後は写真の様に晴れてきました。
ここは凄まじく年齢層が高いです。お爺さんとお婆さんしかいないと言っても過言ではないほどに、なかの食堂などもサロン化状態でした。

お昼を金沢でどこで食べようか、直前までなにも下調べしていなかったので
私の知っている方で、大学に金沢に在住されていた通の方に直接メールでお伺いしたところ
大変詳しく色々教えて頂きました。
 なんでも、金沢が誇るB級グルメのなかでも、こちらのハントンライスというのが
金沢のソウルフードとして有名らしく、教えてもらったお店に向かいました。
年期の入った店舗に入ると、殆どの人がこちらのハントンライスをオーダーしているではありませんか・・・・。
 ほかにも魅力的なメニューがありましたが、せっかくこちらに来たので、ハントンライスを注文することにしました。
 私はエビが食べられないので、エビ抜きで注文しました。
大盛りもありましたが、普通の奴を頼んでいざ出てくると、デカいww
全部食べられるか不安でしたが、なんとか全部頂くことが出来ました。
オムライスに魚のフライが乗せてあり、タルタルソースがかかっていると思って頂くと
なんとなく味がわかってもらえると思います。

お昼を食べた後は、バスにのって金沢の伝統が今も残る東茶屋界隈に出向きました。
 過去にもなんどか伺ったことがありましたが、なんとなくまたこちらに来てしまいました。
 古い町並みはやはりホッとします。

そこからバスにのって美術館の隣にある、金沢能楽美術館に行きました。
最近リニューアルをされたそうで、能衣裳と能面を着せてもらっての体験が出来るようになったそうです。
なかなか出来る事ではないので、ボランティアの方が是非とも体験して下さいとしきりに進めて頂きましたが
ちょっと怖かったので今回はご遠慮致しました。

で、結局この後お茶をして、ホテルにもどってコンサートとなったわけです。

翌日は、 昨年から気になっていた禅で有名な永平寺に、下道で向かうことにしました。

禅と日本文化を読み解いていくと、現在の日本が直面している様々な問題を解決する糸口がある気がしています。

禅の精神は、飾り立てプラスしていくことによって表現する西洋の文化と違って
究極的に装飾を排除した(ミニマリズムという言い方とは違うかもしれませんが)
受け手に委ねる特性をもっている感じがするんですね。
昨日見てきた能楽の世界もそうですが、所作と所作の合間の行間に一番大切なことが潜んでいるといいます。

製品作りに徹底した無駄を省き見えない部分から発生する「何か」を求め続けていたスティーブジョブズが亡くなり、そして昨年の311が我々日本人に示した今後の日本のあり方も
私はこの、見えない部分に重要な知恵というかヒントがあると思うようになりました。

それを感じれる人と、まだまだお祭りをしていたい何も感じない人でおそらく
今後の生き方も変わっていくのではないでしょうか?

本来私たちの先祖や、日本の戦前までの様々な文化にこうしたミニマリズムな精神は宿っていたはずでしたが、戦後の高度経済成長期以降、所謂成金国家の道を突き進んでいき
毎日がお祭りのようになってしまっていたのかとも思います。

と言うことで私の戯言はこの辺にして、中学生以来だったと思います。
久しぶりに訪れた永平寺のレポートです。

 このように、とても大きな敷地の中に様々な建物があります。
 永源寺は今から670年前に道元禅師よって開かれた座禅修行の道場です。
お天気もよく、お寺の中も緑が溢れ、太陽の光と緑と建物のただそれだけの美しさで溢れていました。
お掃除もお坊さんが至るところで綺麗にされていました(作務)。美しかったです。

こちらの永平寺さんでは、禅の体験修行プログラムもあるそうです。
みっちり三日のプログラムと一泊二日のプログラムがあるそうです。
私もいつか体験したいと昨年頃から思うようになりました。

永平寺の最後の通路の壁には貫首の福山諦法さんのお言葉のパネルが掲示されていました。
そのなかで、昨年の震災の事にふれ「今こそ快適さや便利さを追求する社会から脱却し、未来を生きる子供たちが笑顔で生きていける、いのちを大切にする社会を築いていかなければなりません」と記述されていました。

昨年こちらの永平寺にて、脱原発のシンポジウムが開催されました。
私も行きたかったのですが、当日は平日だった事もあり行けませんでした。
永平寺が過去に命名に関わったとされている、高速増殖炉の「もんじゅ」や新型転換炉の「ふげん」は何れも菩薩の名前にちなんだものだそうです。

当時の朝日新聞記事より

曹洞宗大本山永平寺の僧らがつくる「禅を学ぶ会」が11月2日、「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開く。すべての命に思いを寄せる釈迦(しゃか)の言葉を引きつつ、放射性廃棄物という「負の遺産」を子孫に残していいのか問いかける。小浜市の明通寺住職、中島哲演さんらが講演する。高速増殖原型炉は「もんじゅ」、新型転換炉は「ふげん」。1970年、二つの原型炉の名前は、菩薩(ぼさつ)から取られて決まった。「文殊菩薩の智慧(ちえ)は仏教の智慧であり、科学知識とは違う。許される名前ではなかった」と、同会の西田正法事務局長は話す。菩薩と世間におわびしたい思いから、今回のシンポジウムを企画したという。釈迦は「これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ」と説いたという。原発を動かす限り、半減期2万4千年のプルトニウムが生み出され、子孫に残される。西田事務局長は「『私たちさえよければ』という欲に支えられた利益を漠然と享受してきたことに自覚的になり、一人ひとりが生き方を選ぶためのシンポジウムにしたい」と話している。

当時私はこの有名な永平寺がこうしたセンシティブな問題のシンポジウムを開催されるということに、驚きを感じました。
今年の2月には、全日本仏教会の会長が記者クラブでの講演にて、
以下京都新聞記事より
河野会長はまず「仏教の根本は人命の尊厳」とし、その教えを説く者として、自らの教団が戦争遂行に協力した過去を問い続けた半生を振り返った。その上で原発事故について「口を閉ざしていることは、かつて戦争へと転がっていく社会的状況に順応したことと同じ」と心情を述べ、「豊かな生活が誰かの犠牲の上に成り立っていると知って反省し、原発を必要としない社会を求めなければいけない」と訴えた。福島第1原発事故を受けて出した宣言文では、豊かさの追求の結果、命を脅かす事態を招いた現実への深い反省と、原発への依存を減らして持続可能エネルギーによる社会の実現や個人の幸福と人類の福祉の調和の道をうたっている。

こうした宗教界での動きを見ていても、やはり原発問題に関しての仏教界のコンセンサスも
脱原発の方向にまとまってきているのではないかと私的におもったりもしています。
参道沿いにはたくさんのお土産屋さんが連なっていました。
観光客もひっきりなしにバスから降りて、永平寺に向かっていきます。
上の写真はお土産屋さんのゲージのなかにいた猫ちゃんです。
とてもおとなしくて可愛かったです。こんな所でも猫とあえるなんて、私は幸せです。

車を海に向かって走らせます。
東尋坊に着きました。実は東尋坊は私がまだ20代最後のあたりに、とある人と二人で来たことがあるばしょで、そこからもう10年ほど時が経ってしまっていたと
改めて感慨深い気持ちに少しなりました。
そんな事はさておき、今日は一人で楽しく来ているのですから、ゆっくりと見学していきたいと思いました。
天気がとてもよく、風もなかったので、遊覧船は稼ぎ時といわんばかりにフル回転していました。
東尋坊は上から見るとめっちゃおっかないですが、したから見上げると、そんなに高く感じないのは私だけでしょうか?
こちらもたくさんの海産物のお土産屋さんが軒を連ねているので、猫が自然とたくさん集まるようになったのでしょう、何匹か懐いている猫を触りました。

と言うことで、二日目は高速は敦賀から長浜の区間だけで、あとは全て下道でのんびり周遊する事ができました。

短い期間でしたが、特に永平寺に訪れることが出来たのは、私にとって意味がある事だった気がします。

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